法学部60周年、地球環境法学科20周年に寄せて

法学部長 矢島 基美

 人も団体も、それなりに年数を刻めば、生誕ないし創設にかかる周年の時期を迎えます。その意味では、周年記念といっても、それはひとつの節目にすぎず、時間において何ら変わりはありません。それでも、その年は、来し方を省みるとともに行く末に思いを馳せるうえで好機なのでしょう。不惑、還暦、古稀、喜寿といった言葉と、それを契機とする祝事のならわしが、何よりもそのことを物語っています。
 2017年は、上智大学法学部にとっても、それを構成する学科のひとつである地球環境法学科にとっても、そうした周年記念の年にあたっています。周知のとおり、法学部は1957年、上智大学における学部増設ラッシュの先駆けとして、また、地球環境法学科は1997年、既設の法律学科、国際関係法学科に続く3番目の学科として開設されました。
 せっかくの機会ですので、法学部、地球環境法学科のそれぞれ開設にかかるエピソードをお話ししようと思います。

 ヨーロッパでは古くから、神学や医学とともに法学を教授しなければ、「大学」には値しないと考えられてきました。そうした認識はおそらく、現代に至るまで抱かれてきているのでしょう。1955年、イエズス会神父で、上智大学長の大泉孝先生がヨーロッパに赴いた折、そんなやり取りが交わされました。
 すなわち、ドイツ・ケルンの大司教、フリングス枢機卿から「日本社会で尊敬を受ける大学になるためには、何が必要ですか」と尋ねられ、大泉学長が「法学部があればと夢見ています」旨、お答えしたところ、フリングス枢機卿が「カトリック大学への援助という名目で、その経費の半額をケルン教区が提供しましょう」と応じてくださったのです。
 実は、大泉学長は、ケルンに行く前に立ち寄ったローマで、イエズス会の総長、ヤンセンス師を表敬訪問されたのですが、その際、「上智大学には法学部がありませんが、大学に法学部がないのはおかしい」と言われたという逸話が残っています。大泉学長がフリングス枢機卿の前で法学部開設の夢を口にしたのも、ヤンセンス総長との会話があったからに違いありません。
 ともあれ、フリングス枢機卿の約束は果たされ、1957年4月、法学部開設の運びとなりました。同年5月に開催された開学式には、その最大の恩人とも申すべきフリングス枢機卿にご臨席いただいたのですが、その席で深い謝意が伝えられたことはいうまでもありません。

 こうした事情からすると、上智大学に法学部が開設されたのは、ある意味で偶然のなせる業であったといえるのではないでしょうか。これに対して、地球環境法学科の開設は明らかに意図的なものでした。
 急速に進展しつつある国際化時代を見据え、1980年4月、国際関係法学科が上智大学法学部に開設されました。国際法・国際関係領域の教育研究を中心に据えた国際関係法学科は、国内の高等教育機関にあってはまさに先駆的なものであって、社会各層から多くの反響を呼びました。それから10年余を経て、設置母体である上智学院も上智大学も、次なる起爆剤の必要性を覚えていました。それが、現在の地球環境法学科に結びついたのです。
 そこで目を向けたのは、国内外で取り沙汰されつつあった地球規模の環境問題でした。この問題に対して法学の視点から総合的に検討し、その解決に寄与しうるような人材を養成することが企図されたわけです。なるほど国、自治体の政策や制度が、結局のところ法律によって組み立てられ、支えられていることからすれば、それもひとつの卓見といえるでしょう。
 この構想はほどなく具体化され、学科の新規開設が目指されたのですが、種々の事情から、まずは法学部内に地球環境法研究センターが設置され(1994年4月)、それを母体としつつ、かつ、その教育組織に相当するものとして地球環境法学科が誕生することになりました。
 それから20年。時宜を得ながら、環境法関連科目を見直し、より一層の充実を図るとともに、これらの授業科目を担当し、研究力にも優れた教員人事を進めてきました。その結果、国内ではトップレベルの実質を備えるようになっているのではないかと思います。今後も、トップランナーの自覚のもと、さらなる高みを目指したいと意気込んでいます。