上智大学法学部 Sophia University Faculty of Law

令和の時代に思ふ

国際関係法学科
准教授 江藤祥平

 去る4月30日天皇は退位し、翌5月1日に新天皇が即位しました。これにより、約30年間続いた平成という時代は幕を閉じ、令和という新しい時代が始まったことになります。もっとも、そのことが日本国憲法上何を意味するのかは、実はそれほど明確ではありません。

 現在、日本には元号法という法律があります。これは昭和54年に制定された法律で、その第1項には「元号は、政令で定める。」とあります。今回の改元も同法に依拠したものです。では、元号法制定以前はどうだったかというと、明治憲法下における旧皇室典範12条には元号に関する規定がありましたが、現日本国憲法に基づき昭和22年に制定された現皇室典範ではこの点に関する規定は消滅しました。つまり、その時点から元号法制定に至るまでの期間は、昭和という元号は慣習的に用いられてはいたものの、法的根拠を欠いていたことになります。

 もっとも、昭和21年に内閣が元号法を閣議決定したことからもわかるように、元号法制定の動きは戦後当初からありました。しかしこの動きは、天皇の権威の復活をおそれたGHQによってとがめられ、実現には至りませんでした。その後、昭和50年ころに元号法制定の動きが再燃しますが、これは昭和の終焉とともに元号制が消滅することを政権与党がおそれたからです。実際、元号に法律上の根拠がないとすると、天皇の逝去によって空白の時代が始まる可能性も指摘されていました。当時の世論も、元号制の存続には多数が好意的でした。

 こうして、元号は法律上の基礎を獲得しました。しかし元号法は、皇室典範のような憲法に組み込まれた法律とは異なりますから、これをもって元号の憲法上の位置づけまで明確になったわけではありません。とりわけ、憲法上問題となりうるのは、かつてのGHQが懸念したとおり、元号制度に正統性を与えることが天皇の権威の復活に結びつかないかという点です。憲法は、天皇が「国政に関する権能を有しない」と定めていますから、元号が権威を積極的に基礎づけるものとなれば、やはり憲法とは緊張関係に立つことになります。

 もっとも、この緊張関係は元号に限った話ではなく、実は憲法と天皇制のあいだ一般にみられる現象です。国民主権に立脚する憲法と君主制の残像である天皇制の相性の悪さは、夙に指摘されていました。もし国民が主権者なのであれば、その上位に天皇の権威を想定することは背理となるからです。この緊張を避けようと、日本国憲法では天皇を「象徴」にとどめるという工夫がなされました。しかし象徴というのは実に多義的です。象徴と象徴されるものとの間に内在的な連関はないので(ハトと平和が無関係であるように)、私たちが象徴にどういう意味を読み込むかによってその意味も大きく変わってきます。

 実はこの緊張関係を正面から受け止めて、象徴の在り方を国民に問題提起したのが、先に退位した明仁天皇でした(平成28年8月8日「おことば」)。元来、憲法は天皇に形式的・儀礼的な国事行為しか認めていないのですが、その中では「祈り」や「寄り添い」を通じて、国民との関係を積極的に取り結ぼうとする積極的な象徴観が描かれていました。明仁天皇が「先の大戦」を風化させぬよう、戦没者を慰霊する旅を続けてこられたのも、その表れといえます。それは憲法の平和主義を天皇自らが体現することで、国民主権と天皇制の間の断絶を架橋する試みだったとみることができます。

 しかしそこには問題があります。それはかつて丸山眞男が述べたとおり、戦中の日本は合法性の域を超えた「超国家主義」の様相を呈したが、その中心には天皇がいたとの分析と関連します(丸山眞男「超国家主義の論理と心理」世界1946年5月号)。丸山は天皇が独裁者だったと言っているのではありません。むしろその逆です。独裁であれば、そこには主権者としての現実的決断があるはずです。しかし丸山は、「何となく・・・・何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入した」、「我こそ戦争を起したという意識が……どこにも見当たらない」と述べています。どうしてこういう事態が起きたのでしょうか。

 丸山によると、それは上から下への支配の根拠が、主権者の命令という「形式性」にではなく、天皇が究極的価値の実体であるという「内容的」価値に求められていたからです。いいかえれば、合法性の意識ではなく、天皇からの距離の近さが、人々の在り方を規定していたということです。ここでは天皇からの距離に比例する形で、一切の人々は一方から規定されつつ他方を規定する縦軸の関係に立ちますので、どこにも自由な主体は存在しません。当の天皇でさえも、無限の古に遡る伝統を背負っています。この天皇を中心に価値は無限に流出してくるため、国家主義は超=ウルトラの様相を帯びるわけです。

 問題は、この絶対的価値からの距離が各人の在り方を規定するという構造は、今日でも社会の至るところでみられるという点です。最近「忖度」という言葉が流行りましたが、これはその典型です。忖度では、上からの命令があったわけでもないのに、上の心中をおしはかって行為者はそれを価値の基準とします。命令は存在しませんから、忖度した行為が法令違反であった場合にも、上に立つ人間には責任の意識は生じませんし、行為者本人にしても上のためにやったことなので責任の自覚はありません。「無責任の体系」と丸山によって評される所以です。

 とはいえ、今日の我々は以上の議論をいぶかしく思うに違いありません。天皇からの距離が行動の基準であることなどありえない、と。しかし、自分でも意識していないところで「内なる天皇制」(奥平康弘)を抱えている可能性はあります。「令和」ブームに何となく・・・・沸いているということが、実は、暗黙に日本社会が有している価値を各人が敏感に感じとり、それを自らの行動の基準としている可能性です。新しい時代に沸く中、本当に「忖度」や「空気」に支配されない「個人」の主体性を私たちが確立しえているのかが、今問われています。